VJの話題は何かとテクノロジーの視点からばかり語られるのだが
何を使おうが主体は表現なのであって、
真に問われるべきはテクノロジーではなく
テクノロジーを乗りこなすリテラシーなのではなかろうか。
流行のJitterなどのツール、独自のツールを用いて
全ての3dオブジェクトをリアルタイム制御で
音にSYNCして変容する像を見せたければ見せればよい。
アンビエントな音楽にたゆたう映像を見せたければ見せればよい。
いずれもさぞ美しかろうが、数分後には無残な退屈しか残らない。
次の裏切りを観客は欲している。
観客の欲望は際限のないマゾヒストの快楽に似てはおるまいか?
結局技術は退屈しか生まないのだ。
しかしそんな原則は40年も前に分かっていることだろう。
不断のサスペンスに支えられ、反動を持って跳躍しないと
次なんて見えてこない。機械に頼った時点で負けだ。
以上、同僚がenvolさんところからinfoを受けて購入した作品集DVD「RELINE」を見た
感想でございます。
いやあ、ずばし!!!
書いてしまいましたね。
書いてしまいましたね。。。
確かに、アナログの秘めたる「時間」に勝るモノなし。
そして、ドン欲な動体視力を満足させるには
3Dの質感はまだまだまだまだ。
フケ、素材を提供せず、沈黙三年。
新しいPCがレンダリング早いので、黙々と制作してマフ。
もち。アナログベースで。
その通り。
なんかね、最近ツールに喜びすぎで本来あるべき姿を忘れてるような気がするんですよ。
それは、DJもしかり。
やれ、新しいCDJが出来て凄いだのMIXERに新機能が付いて凄いだの。
あんまし関係の無いところでプレイしてるので、「どうなんでしょ?」とか思ってしまうんですよね。
大事なのは、流れであり思いであり情熱だったりするので。
ま、テクノロジーは流れなので使いたくもありますがw。
映像・場・空間・音。
物語が欲しいですね。